地元不動産会社きづな住宅の学校紹介・地域情報 川越市立泉小学校 小室TOPそば
きづな社長の母校、川越市立泉小学校の紹介です。
校庭も広く、環境も良い場所にあります。
泉小は川越市小室463番地にあります。
学区は上野田町、田町、野田町1丁目、東田町9番地以降、今成4丁目、小ヶ谷(東上線の南側の地域のみ)
小室全域です。
きづな社長は小学校の頃は川越市田町に住んでいました。
中央小の方が近いのですが、学区は泉小。
最近の親なら、ごねて中央小に!なんて教育委員会に掛けもむ方も
いるレベルの遠さです。
小1の時、子供の足で35分はかかりました。
でも、それが今良かったと思います。
足腰鍛えられました。
田町から上野田お地蔵さん(尾高自動車さんの前)までの直線は
今でもあまり風景が変わらなく、自転車でたまに法務局からの
道すがら、八幡橋で自転車を止めて、35年前を思い出す
私がいます。
24時間眠らない郵便局は私が通っているころにはありませんでしたが、
TOPの建設にスーパーVIVAホームの開店と、めくるめく変化激しい
田面沢(たのもさわ)地区です。
このあたりはタノモサワと言われ、稲作が盛んにおこなわれていたエリアです。
泉小の持久走大会はこの当時はない西郵便局や角上魚類が入るスーパーTOP
のあたりが校外の1500m走のコースでした。
運動はからっきしの私でしたが、小学校4年生の持久走大会で学年4位。
これは今でも覚えています。
昔から、ストイックな持久力が要求されることは得意だっかのかもしれません。
田町から長距離を毎日歩いて通ったことも良かったと思います。
最近の親御さんは「学校の近く近く」と遠いことを敬遠して
越境通学の申請をしたりしますが、どうでしょう。
プラスはマイナスにもなり、マイナスはプラスにもなります。
私が小6で在籍した当時、昭和62年、バブルの前ですが、
泉小学校から中学受験する子は殆どいない(1-2%くらい)でした。
私はその中の一人で、見事有名校に合格したのは海城中に進学した私の当時の親友と、
城北中に進学した私くらいでした。
今でも街中の中央小や仙波小、川越小などと比べれば、受験比率は低いと
思います。
八幡橋周辺ではよく遊びました。
釣りにザリガニ採り、セリ摘み、川遊び。
汚い川ではありましたが、私の幼少期の一番の思い出です。
川越市立泉小学校は、都会すぎず、田舎過ぎない場所にある関係で、
スレていない生徒が多い学校なのは今も昔も同じようです。
当時、泉小学校卒業生は野田中と富士見中に分かれますが、
富士見中の男子は全員頭を坊主にしなくてはいけませんでした。
それに超抵抗があった私は、
「坊主頭になりたくない!!!!」
それがモチベーションとなり、頑張ったのでした。
きづな社長は生まれて子の方、一度も坊主頭にしたことがありません(笑)
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