なぜ駅から徒歩15分の住宅街で不動産会社を開業して成功できたのか?
リーマンショック、その後東日本大震災と僕の起業
私は2010年10月に会社登記し、2011年2月に開業しました。 自分の自宅のガレージを会社として登記し、住宅街のど真ん中で不動産会社を立ち上げました。
2010年秋といえば、 日本や世界はあのリーマンショック の傷もまだ癒えていない中、懸命に立ち直ろうとしていた時でした。 そして開業の2011年、あの東日本大震災が起こります。
営業を始めて一か月間、何の売り上げもないまま、通帳への入金がないまま、その人に通帳を不安な気持ちで眺める日々でした。 サラリーマンの時、人並み以上に稼いでおりましたので、 私以上に愛妻はもっと不安だったことでしょう。ごめんね。
不謹慎にも、原子力発電所が爆発し、日本がこのままなくなってしまえば楽なのに、などと開業して失敗したとしても言い訳できる、そんな甘い気持ちがどこかにあり、もしうまくいかなかったらこれのせいにできるのではないかなどと言う、それほどまでに不安で思いつめていた時期でした。 でも、あの不安を乗り越えたから今があるね…今は笑いながらあの時を思い出して話せるようになりましたが。
不動産会社は駅前になきゃダメ?
普通不動産会社といえば駅前に出店することがほとんどです。
インターネットがない時代であれば、駅の前に出店していなければお客様を獲得することはほとんど出来なかったかもしれません。
インターネットは普及していましたが、 YouTube や Facebook などはまだあまり知られていなく、それを毎日全力で活用しているような人、毎日投稿する人、 毎日それを主張する人などはまだ少ない世の中でした。
私がなぜ、駅から徒歩15分の住宅街で不動産会社を開業して成功できたのかを、10年という長くも短い間・・・しかし私にはとてつもない長い時間、24時間対応し365日休まない形で会社を引っ張ってきた私が振り返ってみます。
開業直後の大事件、これが私の人生を変えた
悔しい思いが人を動かす。 ゼロからのスタート、なにくそ!今に見ていろ!という強い思い、私の心に強烈な火をつける、私は甘い気持ちから脱却させる『ひとつの事件』が起こりました。
それは開業して間もない頃、事務所も今のような素敵な内装などではなく、備品も家にあった寄せ集めの机・ソファー・・・ なんとか会社の体を無理やり整えたような形での船出でした。 その住宅街のど真ん中の店舗に、二代目の経営者が多く集う某団体が私の所に 二人で勧誘に来ました。 私は、その勧誘を断りました。 きっぱりと断りました。 その某団体については、地元川越の方々よりどのような活動をしているのか聞いておりました。
私の師匠は3人おりますが、そのうちの一人の同じように一代目で不動産会社を開業し成功した師匠(故人)からは、「名刺を束にしても良い仕事なんかできないぞ !」「経営者は孤独だ、孤独に耐えられない経営者は会社を潰す」と何度も何度も教えられてきました。
私が断ったその瞬間、来客の二人のうちの一人が、この強烈の一言を放ったのです、開業して不安で不安で、先行きが全然見えていない孤独な私に向って…。
「あのー、こんな場所で俺たちの組織に入らないでお前はどうやってお客さんを獲得するのか? こんな場所にお客さんが来るはずないだろ!」
私は猛烈に悔しかった。 侮辱された! このセリフを吐いたのは不動産屋だ。 捨てセリフをはいて二人は帰ってきました。 結局、彼らの本心は、もとで経営者として成功することを祈るということではない、私は、確信した! 彼らの都合のための来訪であったと。 それ以来、私は不動産屋が嫌いになりました。 私は不動産屋を開業したのではない! 不動産のお手伝いを通じ、家族の幸せコーディネーターになるのだと。
私のスイッチが入りました。
悔しさをバネに!!
私は野球が好きです。 小学校の頃から、たくさんの野球選手の人生を見てきました。
成功する人、挫折を味わう人、人生が奈落の底に落ちる人・・・ 私が好きなのは、全く無名で、ドラフトの下位指名の選手や、育成選手から這い上がってきた選手です。プロの世界では、どん底から這い上がって、成功を遂げた選手のコメントに特に注目しています。
その中で共通していることは、「決して諦めないこと」と「悔しさをバネにしていることです」
悔しさをバネに!
悔しさを原動力に!
僕もやるぞ!
この事件からスイッチは完全に入りました。 こうして24時間対応365日社長が前面に立つ不動産会社はスタートしたのです。
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